思い付き置き場

クトゥルフ神話TRPG好きによる、シナリオ導入案置き場。何か最近ネタ思い付かないな、スランプだなという方、参考にどうぞ。(使用の際はコメ残してくださると、今後の参考になりますので喜びます。)また、こんなちょこみんとさんと一緒にシナリオ作ってみたい!という物好きさん居ましたらTwitterちょこみんと @3yqJmeJxBBRqpy2 までDMください。Skype所持です。PLもやってます(ロール可)ので、プレイしてくださる方も募集。クトゥルフぼっちちょこみんとをよろしくお願いいたします。

命題3、1人とは

インサイドヘッドや、脳内会議を話題とした映画が評価されているらしいが、あれは自分が「1人ではない」という揶揄なのだろうかと思ったりもする。私は作品を見た事がないので、知ったかぶりのような知識になってしまうので、私が注目したいのは「脳内会議」という言葉である。これがまた面白い例えではないかと思うのだ。会議というものは、1人では行えないだろう。何かと何か、誰かと誰かが存在しない限り「会議」という言葉を使うには色々語弊が生まれてしまうと考える。脳内会議は、誰しもが行うものだと思う。一つの物事に関して複数の考え方を持って行動する事はあるだろう。また、トラウマや、フラッシュバックした時の自分と、通常の自分は、同じ人間の中にあるものである。とある心理療法では、辛かった事と対話していく療法もあったりするものである。つまり、何が言いたいかというと、1人の人間には簡単に言うと沢山の「感情」が生きている。脳内会議やインサイドヘッドでも、「怒り」「悲しみ」などの感情が一つの人格…人として扱われている。…と、いうことはであるが。孤独、1人…そういったものは物理的には有り得ても、自分の中の別の感情を持った自分がもう一人いてもおかしくないのである。何それ多重人格?とか思うかもしれませんが、個人的な解釈では皆様々な人格を持っていないと逆におかしいと思ったりします。理由?自分に聞いてみてはいかがでしょうか?私が答えるものじゃありません。身勝手ですが、私は貴方でない。貴方は私ではない。何に喜び、何に悲しむのかはバラバラなのだ。